今”自分が住みたいところは?”と聞かれたなら僕は迷わずHawaiiと答える。
僕が初めてHawaiiに行き始めてからもう10年以上になる。
ここは、僕が若い頃憧れていたMainlandにはない人種を越えたPeacefulな空気に満ち
自然のパワーを何のフィルターもなく体感し、スローライフと言う言葉がまさに合っている豊かな楽園のように思える。
僕はかなり長い間Hawaiiという場所を既成概念から馬鹿にしていた。
日本人の避暑地の代表=ミーハー、日本の観光地化されてマニュアルっぽい、とにかくアイデンティティーがない日本人だらけで気持ち悪い、と言うように行ったことも無いのに誤解しひどい評価をしていた。
話はずっと昔にさかのぼる・・・
僕は中学時代からAmericaに憧れその当時Americaの匂いを求め米軍Campをうろつき
高校生になったら絶対にMainlandに渡って、何をやりたいと言うよりアメリカ人になりたいと思っていた。
その時にCampで出来た友人のジーノ。彼はアフリカンアメリカンだった。
今でこそ黒人であるObamaが大統領にまでなったが。
その時代は今の時代より人種差別も当然あり日本でも黒人というと毛嫌いされていた時代だった。
でもその彼は何も関係なく気にすることもなく僕のことを友人と言うより弟のようにかわいがってくれた。
その頃はCamp内のBarも将校クラブ、下士官のクラブ、白人、黒人用見たく分かれていた!
そして彼はいつも黒人のBarに連れて行ってくれて日本人の僕に”おまえ達日本人は内向的だからもっと自分をアピールしろ!とにかく人と出会える場所、パーティーに行ったら”壁の花”になるな!そして日本人であると言うことに誇りを持て!そして自分らしく堂々としろ!”と言っていた。それは僕が人の目を気にせず、日本人であることに誇りを持ちもっと自分らしく素直に自分のことを表現しろと言うことだった。
でも彼は高校2年になったある日戦争で亡くなってしまった。
そして僕はその言葉の意味すらを長い間忘れ去っていた。
それから数年たちそのことを思い出すこともなくただ彼の故郷でもあるロサンゼルスに行くことに夢になった。
自分の目でMainlandがどのようなところだかを見てみたいと・・・
初めてLAXに降り立ったとき、そこに行けたことが嬉しく何かにイチビリ天狗になり、いつしか同じ日本人を馬鹿にし、自分が日本人でなくアメリカ人に成れるような気になっていた。
それからは何回LAに行っただろうか?一年間に10回くらい行った年もあった。
初めは刺激的で楽しかったしそれこそ本当にアメリカ人になりたい、ここで自分をかけてみたいという気持ちがあったが、徐々に何かそれがプレッシャーになり自信を失っていった。(それはネイティブになることの難しさ、人種、カラードの壁を多々感じる場面があったからだが)
ふっとある時ジーノの言葉”自分の日本人であるというアイデンティティーを持て”と言うことを思い出した。
漠然と背伸びしてアメリカ人になりたいと言う自分のしていた事のむなしさが身にしみて感じられる瞬間だった。
それからは”すーっ”とその何か訳の分からないものに勝負する気持ちも無くなり、もっと自分らしく背伸びせずにゆるく生きていくことを自から望むようになった。
それから何年かたちビジネスミーティングを兼ねた旅行でHawaiiに行った。
そこは気持ちの良いHawaii特有のTrade windが絶えず吹き太陽がサンサンと輝いているが心地がよい場所だった。
今思えばジーノの言葉は、僕の中に生き続けている。
日本人のアイデンティティーを持ちながら僕の大好きだったAmericaへの憧れを実現でき、自然との共存、
自分らしいスローライフな生き方をしながら楽しむことが出来る場所はここHawaiiではないかと・・・
その思いは更に強くなっている!
今僕はここの太陽と、友人のクルーザーから見るこのハーバーのサンセットが大好きだ
続く・・・・
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